12月19日「クリスマスっていったい?」(クリスマスメッセージ)

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12月19日       「クリスマスっていったい?」(クリスマスメッセージ)

 今年最後のメッセージです。クリスマスシーズンなので、何かしらクリスマスにまつわることを話そうと思います。と言っても、これまでのようにイエスの誕生にまつわる話を無理にしようとは思いません。今のこの時期に一番話してみたいことを率直に話すことにします。タイトルは「クリスマスっていったい?」としました。
 では、まずクリスマスっぽいものを思い浮かべてみてください。一般的なイメージですよ。達郎とかユーミンとかのBGMをバックに、あるいは、ビング・クロスビーのホワイトクリスマスをバックに思い浮かぶものです。サンタ、ツリー、リース、ケーキ、トナカイ、プレゼント、雪、煙突、そり、靴下、それから、イルミネーション、パーティー、デート、シティーホテルとか・・・でしょうか。辛うじて、プレゼントが東方の博士たちの贈り物とちょっとひっかかるくらいで、後は全部聖書には何の関係もないものです。

 本当に、人というのは真実以外なら何でも簡単に受け入れて信じてしまうもののようです。奇妙な伝統も不可解な風習も、真実でさえなければ、平気で鵜呑みにする様が不思議でなりません。
 さて、12月25日はクリスマスとして定着していますが、本来その日はイエスの誕生日ではありません。イエスという御方の事実とは何の関連もない日程なのです。冬至は、地球から見た太陽の力がもっとも弱くなるときです。それから夏至に向かって新しく生まれる、だから太陽神の誕生日というわけです。
 そんなわけで、ローマの時代にキリスト教会が信者を増やすために、太陽神の誕生日をクリスマスにしてしまったわけです。そのことに何の意味があるかと言うと、「イエス・キリストも、ご先祖さまの信仰している太陽神と同じですよ」「新たにキリスト教に帰依しても、ご先祖様もともに救済されますよ」という方便のためだったのです。そういうご都合主義の客寄せ的手法の延長で今や極東の島国日本にも、この文化というか風俗を定着させてしまったというわけです。

 そのローマの太陽神のルーツをさぐっていくと、実は「ミトラ教」という宗教につきあたります。ミトラは古代の中東・西アジア地域でゾロアスター教、マニ教、ヒンドゥー教などの枠を超えて信仰された神さまの名前です。12月25日は「ミトラ教」の神であるミトラが誕生した日とされています。
 「ミトラ教」によりますと、ミトラはこの日、「聖なるユーフラテス川のほとりにある洞窟のなかに稲妻が落ちて、洞窟の中の《創生の岩》に宿り、《創生の岩》を変成させて誕生した。この日は、天の友が地上に少年の姿で現れ、霊的・精神的な意味だけでなく、この世で実際にわたしたち人間とともに歩み始めた」のだそうです。さらに、この日を祝うことをミトラマスと言います。ミトラマスには今年の感謝をささげ、来年もともに歩んでいただけるようお願いし、聖餐式も行います。聖餐式では十字のきざみのついたパンを食べ、赤ワインを飲むのだそうです。各家庭では、パンを焼いてお供えし、後からみんなで分けて食べるのだそうです。物凄く何かと似ているでしょう。他にもミトラにまつわる話は、聖書の記述と共通点がたくさんあります。

 この「ミトラ教」の信仰は、アーリア民族の神話(正典は『アヴェスタ』)をベースにしたものです。現在のイランやインドで流行したものですが、世界中に広がり、アジアへも弥勒信仰として伝わります。ミトラは弥勒となり、七福神の布袋さんとなります。もう何でもありの世界です。イエス以外なら何でも拝みますとばかりに、様々なかたちの偶像が生まれ、土着の信仰と結ぶ尽いて広まっていきます。
 ミトラから弥勒へ、弥勒から布袋へと流れるわけですが、弥勒と布袋の間には、沖縄のミルクという神さまがあります。このお面を見ていると布袋さんの面影があり、名前は弥勒に似ています。ちなみにオウム真理教の幹部がホーリーネームを付けていましたが、それに「マイトレーヤ」というのがありました。それもミトラ神である弥勒菩薩の別名です。
 何だかわけがわからなくなってきたでしょう。話が広がりすぎるので深くは触れませんが、東方キリスト教ネストリウス派などは、聖書の信仰よりも、この異教の性質を受け継いでいます。日ユ同祖論を強調する人たちは、弥勒菩薩はキリスト像だなどと言いますが、重要な「ミトラ教」の影響を飛ばして語っています。

 もう少し「ミトラ教」についてお話します。「ミトラ教」の影響力は想像以上にすさまじいものです。
 8月15日のお盆の習慣は日本だけでなく東アジア全域にありますが、これもまた「ミトラ教」の影響です。盂蘭盆会〔うらぼんえ〕というのが正式の名称です。盂蘭盆〔うらぼん〕の語源はウルバンというタジク語だそうです。「地蔵」の導きで先祖の霊を供養する習わしです。日本においては、仏教伝来後まもない推古天皇14年(606年)に最初に行われたという記録があります。
 さて、ローマ帝国がミトラ信仰の影響を受けたのはペルシアと同じアーリア系国家だからでしょう。しかし、313年にコンスタンティヌス帝がいわゆるミラノ勅令においてキリスト教を受容した時点で、キリスト教に吸収されるかたちで影響力を失います。
 しかし、世界規模の影響は残っています。「ミトラ教」によると、最高神ミトラの下には6人の天使がおり、その中で、筆頭の天使がミカエルと言います。これも何処かに出て来ます。そして、ミトラと6人の天使には、それぞれ惑星と曜日が割り当てられており、ミトラは太陽と日曜日、ミカエルには土星と土曜日が割り当てられています。今広く世界に行き渡っている七つの曜日と太陽系の星を関連づけたのは、実は「ミトラ教」なのです。
 聖日礼拝なんて言いますが、日曜日が聖日なんて別に決まっているわけではありません。聖書には単に「週のはじめの日に集まった」と書いてあるだけです。

 このように見てくると、キリスト教やクリスマスの名前は世界中に広まりますが、その中身や本質はすっぽり抜け落ちて、しかもスタイルは「ミトラ教」だということになります。クリスマスプレゼントは、包装紙だけがキリストブランドでプメーカーや販売店はミトラ教だということです。言い変えれば、無知と軽薄さのゆえに、産地偽装食品を食べさせられてきたようなものです。
 「キリスト教ではない日本人がどうしてクリスマスをお祝いするんだ」というレベルの話はよくありますが、世界中が救い主イエスを無視した馬鹿騒ぎをやっているわけです。それはまるで新郎新婦のいない披露宴です。

 ミトラ教の側からお話しましたが、今度は聖書の側からいくつかの点についてお話します。
 実際のイエスの誕生日ですが、ルカの福音書に書かれているバプテスマのヨハネの父であるザカリヤが祭司の当番であった時期から算出すると、仮庵祭の時期、すなわち秋の収穫の季節であったことがわかります。ベツレヘムの12月には、聖書にあるような羊飼いが野宿をするのは困難だろうということです。 また、イエスは「馬小屋の飼い葉桶」の中に生まれたと多くの人々がイメ-ジしています。ところが、ベツレヘムは荒野で水がたいへん少ないため、羊やろばは飼えても、大量の水を飲む馬を飼うことは不可能でした。
 また、馬小屋と言っても、当時家畜を飼っていたのは木製の小屋ではなく洞窟でした。その洞窟の隅の窪み飼い葉桶としたのです。
 おそらく当時のベツレヘムでは人口調査のために帰ってきた親族で、どこの家も一杯だったと思われます。羊飼いたちが羊を外に連れ出して野宿していたので、ヨセフとマリアはたまたま空いていた洞窟に入り、一夜の宿としたのでしょう。さらに、当時羊飼いたちは、人口調査の対象からはずされていたのだそうです。ユダヤの羊飼いはロ-マ帝国の価値観では、ほとんど無に等しい見捨てられた存在でした。しかし、神は約束されていたユダヤの王であるメシアの誕生を、そんな貧しい羊飼いたちに、まず第一にお知らせになったのです。

 続いては、ミトラ教と聖書の関連について見ていきたいと思います。
 このあたりは聖書からのメッセージではなく、所詮は「陰謀論」の類なので、割り引いて聴いていただきたいと思いますが、けっこう興味深いものがあります。「ミトラ教」の最高神ミトラは、バベルの塔を築いたニムロデがモデルであるとする説があります。
 創世記によれば、バベルの塔は世界統一のため試みでした。当時、世界人類の言語は1つでした。彼らは自分たちの名を上げるために天に届く勢いで巨大な塔を建設しました。しかし神は人々の言語を混乱させ、彼らを散らされたとあります。 キリストの祭りであるとされるクリスマスは、Xmasと表記され、Xはギリシャ語のクリストスの頭文字だとされていますが、実はニムロデのシンボルマークなのだと考える人もいます。
 だとすれば、私たちは12月25日に知らずにニムロデを祝っているわけです。まあ、クリスマスを自分記念日の背景にしたいだけの人は、それがイエスの誕生日だろうが、ミトラの誕生日だろうが、ミトラがニムロデだろうがどうだっていいのだと思いますが。

 そのバベルの塔建設の指導者であったニムロデと並んで有名なのは母セミラミスです。セミラミスに関する記事は聖書にはありませんが、このふたりは母子でありながら結婚したと言われています。ニムロデの父クシュは死ぬ時に、ニムロデとその母セミラミスを結婚させました。近親相姦によって、セミラミスはタンムズという息子を産みます。しかし、これを「奇跡的に与えられた救い主である」と宣言して民に礼拝させます。その教えが世界各地に広がり、女神が救い主であるわが子を抱いている像を拝むようになったのだそうです。同じような母子像をかたどった偶像が世界各地で発掘されていますが、このセミラミスとタンムズがモデルだと言うのです。このタンムズはその後、野獣(一説によると豚か猪)によって殺されたが、後に復活したと伝えられています。
 ニムロデの死後、セミラミスは夫ニムロデを「太陽神」に仕立て、自らを「月神」イシュタールとして神格化したのです。こうしてニムロデの妻ではりタンムズの母であるセミラミスは、肥沃・豊穣・性愛・快楽のシンボルとして崇められ、世界各地に伝わります。カナンの「アシュタロテ」、小アジアの「ダイアナ」、ギリシャの「アフロディテ」ローマの「ヴィィーナス」などです。言うのも馬鹿馬鹿しいですが、これがカトリックのマリア崇拝につながるのです。
 エゼキエル書にはタンムズの名前が現れます。
 「さらに私に仰せられた。『あなたは彼らが行っている忌み嫌うべきことをみるだろう。』ついでこの方は私を、主の宮の北の門の入り口へ連れて行った。すると、そこには、女たちはタンムズのために泣きながらすわっていた」(エゼキエル8:13~14)
 さらに、あるのはこんな記事です。
「・・・『彼らがユダの町々や、エルサレムのちまたで何をしているのか、あなたは見ていないのか。子供たちはたきぎを厚め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて、天の女王のための備えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き起こすために注ぎのぶどう酒を注いでいる。彼らはわたしの怒りを引き起こすのか。―主の御告げ。―自分たちを怒らせ、自分の赤恥をさらすためではないか。』それで神である主はこう仰せられる。『見よ。わたしの怒りと憤りは、この場所と、畑の木と、地の産物とに注がれ、それは燃えて消えることがない』」(エレミヤ7:17~20)
 これは、異邦人の宗教の記事ではありません。イスラエルの人々への主のメッセージです。
 「主の門の前に立ち、そこでこのことばを叫んで言え。『主を礼拝するために、この門に入るすべての人々よ。主のことばを聞け。・・・・あなたがたは、『これは主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。・・・・・なんと、あなたがたは役にも立たない偽りのことばにたよっている。しかも、あなたがたは盗み、殺し、姦通し、偽って誓い、バアルの為にいけにえを焼き、あなたがたの知らなかった神々に従っている。それなのに、あなたがたは、わたしの名がつけられているこの家のわたしの前にやって来て立ち、『私たちは救われている』と言う。それは、このような忌み嫌うべきことをするためか。わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしの目にも、そう見えていた。―主の御告げー。』」(エレミヤ7:1~11)

 イエスのいないクリスマス。十字架抜きでプレゼントを求める人々にふさわしいのは、祝福ではなく恥です。
 このエレミヤの預かったことばこそ、現代の世に迎合しきったキリスト教会には最もふさわしいクリスマスのメッセージだと思って今日はこんな話をしました。全く塩気を失い、世の暗闇の中のさらに闇となったままの教会は、世と共に腐っていくしかありません。
 クリスマスにひっかけて大晦日までイルミネーションで飾られる箇所はあちこちにあるでしょう。確かに闇の中の電飾は綺麗ですよ。しかし、朝の眩しい光の中で埃をかぶった電球を見てきれいだなと思う人はいません。
 見せかけだけの一時的のことはもう何もかもやめにしましょう。
 これがSaltからみなさんへの2010年最後のメッセージです。
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by cozyedge | 2010-12-20 21:34 | message

使徒の働きは今も続いています。


by cozyedge