8月2日 Chapter29 大分編

別府の主にある姉妹たちの集いに参加させていただきました。信仰放談での7月のテーマであった「訓練」と8月のテーマである「弟子と群衆」をつなぐような内容になりました。私自身がリアルに今考えさせられていることですが、タイムリーなメッセージだったようです。

別府名物の「冷麺」「とり天」「だんご汁」でお腹もいっぱい。よき交わりが与えられ心もいっぱい。とってもいい旅でした。
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Commented by dennkiya2 at 2012-08-05 19:40
久々にSaltさん一人の形の語りを聞かせて頂きました。
約1年ぶりでしょうか?ありがとうございます。

最近、気になっていたのが、「通り過ぎようとなさる神」
例えば創世記18章で3人の人が立っているのを見たアブラハムのことば

「どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないでください。」
と言っています。
アブラハムから声をかけなければ素通りする可能性もある神。

モーゼの前に出てきてもいいのに、燃え尽きない柴をつかって誘き寄せる。

19章でも主のしもべがソドムの門にすわっている
ロトは、彼がしきりに勧めたので、、、とあるように一度誘った程度ではロトの家に泊まることもなかっただろう。
Commented by dennkiya2 at 2012-08-05 19:40
ルカ24.28でエマオに着いたのにイエスはまだ先へ行きそうな様子だったと書かれてある。

そしてChapter29大分編の湖で弟子たちのそばを通り過ぎようとなさるイエス。

全ての創り主であるのに造られたモノに「わたしがつくりました。」と書かないメーカー
でも良く見るとあちこちに全部にかかれてある。

弟子で無ければ味わうこともなかったこと、それでも主に声をかけなければ知らないでいた事
最低でも最善をなさろうと働かれる神を私たちは褒め称えます。
Commented by Salt at 2012-08-08 09:41 x
公平や平等ということばはどうも嫌いです。オカミの配給のようなイメージがあるからです。私たちの主の公正さは、人の思いとはかなり違うようです。通りすぎる神は、私たちからの積極的な働きかけを待ってくださっています。そして、そんな願いや思いに応えるかたちで御自身を表してくださるようです。それで、私は「意思の表明」をとても大切だと思うようになりました。こういうコメント欄も人の目に対してではなく、主に告白するつもりで書いています。
by cozyedge | 2012-08-05 13:55 | Comments(3)

使徒の働きは今も続いています。


by cozyedge