2012年10月20日 信仰放談テーマ「遊び」 & 聖霊はみことばを思い出させる

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今月のSaltと銀じ郎の信仰放談のテーマは「遊び」です。

午後の第2部では、先月に続いて、北海道の旅のまとめの第2弾のメッセージをさせていただきました。第3部では「ぶどう園の労務者のたとえ」(マタイ20:1~16)から、気になること、気付いたことを出し合って核心に迫りました。

11月のChapter29は、11月17日(土)です。ご参加お待ちしています。

メッセージを聴いてくださった方は、主から受けた恵みについて、是非みなさんでシェアしましょう。ネット上でつながった方が、「やがて御国で・・・」と言わず、地上でリアルにお逢いして交われる関係になれるのを願っています。

新しく配信をご希望の方は、@kcn.jp @の前にsaltをつけてメールをお送りください
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Commented by dennkiya2 at 2012-10-25 17:54
「遊び」というテーマありがとうございます。
とても楽しくまた興味深く聞かせて頂きました。
考えてみると、それは自然な事でありまた奥深いもの。

前回の「仕事」ともどことなく関係していて、共通点もありまた相違点もありますね。
深く考えない所では「仕事」と「遊び」の違いは、換金性(古くは食っていく為的な)かなと思ったりします。
お金をもらわないでもするのが遊び、お金をもらわないとしないのが仕事?
私も20数年前はタイムカードを押すという普通の勤め人も10年経験させてもらって、毎朝あの「ガチャン」」という味気ない音と共に楽しみが奪われる感じがしました(逆に帰りの「ガチャン」は鎖を解かれた犬の様?)。
しかし、いざ仕事に集中し始めると嫌嫌な感じはなく「もうこんな時間か?」と外の薄暗さで、気が付く程。
Commented by dennkiya2 at 2012-10-25 17:54
当時はまだキリストを信じていませんでしたが、怠けないで働いた日には、今日の勤めを果たしたという充足感(一日働いた又は稼いだという以上の)を感じたものです。
その点では忙しいより、仕事に行ってもすることが無い事の方がつらいですね。
仕事が楽しい理由も、楽しくない理由にも、お金の存在が関係している部分がある気もします。金の為に働くと思うと途端に楽しくなくなる感じがするからです。

もう一つ「仕事」と「遊び」の区別するポイントの一つは、自分の為に動くか、自分以外の方の為に動くかの違いがあるように思います。
ボランティアというものは、正直よくわかりませんが、人の為に動くけどその時間は換金しないという、考え方なのでしょうか。
困っている人がいたら助けることがそうなのか。寄付や募金を集めてそれをすることがそうなのでしょうか。
でも、私は旅人を助けたサマリヤ人はボランティアと、なんら関係がないと思っています。
Commented by dennkiya2 at 2012-10-25 17:55
また「仕事」と「遊び」の違いに、拘束力の差も感じられます。
楽しくないから、気分が乗らないから、やりたくないから、また、何となく「やめた。」って事が出来にくいのが仕事。
聖書には奴隷と自由人という分けがありますが、基本今の社会の仕事と奴隷の違いは、やめるかやめないかを、自分で決めることが出来るか、出来ないかの差が決定的な所だと思います。もちろん聖書の自由人の意味はそれらより遥かに高い位置ですが。

実は現在の私には「仕事」と「遊び」の堺がはっきりしない所もあります。
肉的な上司がいないせいかもしれませんし、自分で今日は遊ぶか、仕事をするか決めれるからかもしれません(と、言う事は、やっぱり分けがあるけど)
サーフィンで上達していく過程と、大工をして上達していく過程はほとんど一緒に感じるからです。
ただ仕事で失敗すると相手がいるので、その点が違いますが、遊びでもチームや仲間がいると少し似ている所もあります。
Commented by dennkiya2 at 2012-10-25 17:56
学生時代でも、サッカーや野球などのチームスポーツやブラスバンドなどの大勢でする場合は、遊びなのかわからない所を感じます。
仕事とは言えないので「遊びじゃないんだよ。ホンキなんだよ。」と言われても本気の遊びがあるから、また遊びこそ本気ですからややこしい。
仕事は言っちゃなんだけど惰性的な流れで、私の中では、こなしていく感じも見受けられます。


さて、以上はキリスト者でなくてもそんなモノという話。

創世記3-17以降で仕事に(生きて行く事に)罪の結果としての罰的な(支払い切れないのですが暫定的に、しかも救いに導く意味もあっての、、)要素があります。
対して遊びには、友達間の問題や体という肉の限界はあっても、例え額に汗を流しても生きて行く為にやっているというよりも、生きている事を実感している時間の様な面が感じられます。
Commented by dennkiya2 at 2012-10-25 17:56
前回のコメントでアダムが名前をつける所で、それが「仕事」というより「遊び」という感じがしていたのも今回「遊び」というテーマで聞かせてもらったお蔭で、
「仕事」という感じがしなかった理由がはっきりしてきました。
イエスが父の傍らでこの世界を創った時、仕事というより遊び的な感じを私は受けています。
仕事だからやっただけという感じは一切なかったと思います。
もちろんイエスは遊びだって、手を抜いている訳ではありませんし、本気で、かつ夢中になるほど楽しんでいたのではないかと感じました。

私の場合、良くも悪くも仕事は仕事としてあまりにも一生懸命ならないようにコントロールして息が切れない様に管理して最後まで、という感じで、楽しみは後からやって来る事が多いです(お金を頂いて感謝もそうですが、出来上がった仕事内容をみての満足など)。
遊びは、本気で時には全力で息を切らして苦しい時も多いけど更に楽しめるような感覚があります。
私は遊びで木工もやるのでややこしいですね。
Commented by dennkiya2 at 2012-10-25 17:57
キリストを信じる者は、仕事も遊びも主の前で主の為に主に与えられた範囲で、という共通点や、例え苦しくともチーム(神の)として勝利に導く自分の立ち位置を考えての選択しての行動が見れます。
現実には遊びは子供のもの、仕事は遊びで培ったスキルでおとなになってする遊び的な面もありますが、そう考えていくと、またわからなくなってきました。
例えば妻の仕事は家を管理したり、食事を整えたり、家族の世話をしたり、子供を産む事なのでしょうか。
子供が熱を出した時仕事だからといって、残業のつもりで枕元に付いていたとしたらその母はどうなのか?
家内の働きは仕事とは言えない部分がおおいですし、それは私も同じかもしれません。

うーん、わかんない。でも仕事でも遊びでも主の用意されている世界を楽しみたいと思っている事は間違いありません。
そして次の世でも、同じです。カッコつけずに思った事書かせて頂きました。
お二人の主にある働きと、お二人をお使いになれた神に感謝です。
Commented by 硬派銀じ郎 at 2012-10-26 06:50 x
仕事でも遊びでも主の用意されている世界を楽しみたいと

同感です。今の仕事は楽しめる要素がたくさんあり、主に感謝です。
主が備えてくださったことを主にあって楽しみ喜ぶ、…今日もそうありたいです。
Commented by Salt at 2012-10-27 10:47 x
電気屋さん、熱いコメントありがとうございます。

仕事と遊びを線引きすることにどれほどの意味があるのかわかりませんが、改めて考えてみて確認できたこともあります。

深く味わいながら、日々の仕事&遊びを楽しみたいです。いずれも、神のことばによって見えない世界とつながっていることが大切だと思います。
by cozyedge | 2012-10-21 21:38 | Comments(8)

使徒の働きは今も続いています。


by cozyedge