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2016年4月16日 信仰放談 テーマ「誇り」

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【ガラテヤ6:13、14】
なぜなら、割礼を受けた人たちには、自分自身が律法を守っていません。それなのに彼らがあなたがたに割礼を受けさせようとするのは、あなたがたの肉を誇りたいためなのです。しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

【コロサイ2:18】
あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとしたりするものに、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、

【Ⅰテサロニケ2:19】
私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは誰でしょう。あなたがたではありませんか。

【へブル3:6】
もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

私は、この私を誇りとしてくださっている主を知っていることが、私の「誇り」であると、つくづく思った。
【Ⅰテサロニケ2:19】
私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは誰でしょう。あなたがたではありませんか。

主が、この私を誇りとしてくださっている。これ以外のものはない。

【へブル13:8】
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。

イエスさまが、今、この世におられたなら、私の置かれている立場におられ私に与えられている仕事をしたとしたら、どうされただろうか。私の家族にどうされただろうか。それは、あえりない発想ではなく、むしろ、イエスさまは 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」 という方であり私の置かれた立場という制限・枠の中で、今も父なる神のみこころを誠実に行われている方である。その主の姿に追従するのみである。

それは、盲信ではない。目に見える何かに指示されて動くのではなく、祈りの中で主に導かれる事柄に信仰によって歩むことである。私がなぜそうしているのかを、人から理解されるためではない。

誰に知られるわけでもなく、主が 「御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠」 と喜び見つめてくださっているまなざしを静かに覚えたい。

(銀じ郎)
by cozyedge | 2016-04-23 12:25

使徒の働きは今も続いています。


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