2016年11月19日 信仰放談 テーマ「聖霊の導き」

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【レビ11:45】
わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。

【ヨハネ16:13】
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

単的に、「聖霊の導き」の目的は、私の主は神さまであること、その真理の祝福に導き入れることではないか。 そして、その目的のために「聖霊の導き」が手段としてとられることは、

【箴言6:22】
これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、あなたが寝るとき、あなたを見守り、あなたが目覚めるとき、あなたに話しかける。

とあるように、日常の具体的な事柄の中に入れこまれているように思える。あまりに溶け込んでおり、霊的に鈍った者にはくみ取れないだろうが、主は「聖霊の導き」をやめることをせず、絶えず語りかけ導きにつながる選択を用意され、主の恵みを注いでくださっているのではないか。

家族により、職場の人により、知人、友人により、不測に思える事態により、おかれた国や社会、時代の社会的背景により「聖霊の導き」はなされる。病気が癒される、奇跡的なことがある、そういったことと主の働きとの関連を全否定するわけではないが、そういったことだけを主の働き、「聖霊の導き」とする雰囲気は、私には違和感がある。

私は、今の生活の中で、人として平凡に起こる日常に「聖霊の導き」を祈り求めたい。

(銀じ郎)
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by cozyedge | 2016-12-19 23:33 | Comments(0)

使徒の働きは今も続いています。


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