2016年12月17日 信仰放談 テーマ「管理」

a0160940_23434188.jpg


【Ⅰペテロ4:10,11】
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊に備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。

それは、自分ために何かを管理することではない。みことばは管理というとき、互いが仕え合うことによって、イエス・キリストを通して神があがめられるように、神のさまざまな恵みを管理しないさい、と教えている。自分を守ったり、自分を高めたり、ではなく互いに仕え合うために、神の恵みを管理しなさい、と教えておられる。そして、その目的は「イエス・キリストを通して神があがめられるためです。」とある。

私に与えられている神の恵み、つまり時間や体力や経験や心理状態やお金や仕事や知人や…それら全ては、自分のための管理ではなく他者のため、互いに仕え合うために管理するものである。そして、その管理の目的は、イエス・キリストを通して神があがめられるように、ということである。

であるならば、ただ健康であればよい、ということではないだろう。もちろん、健康はよいことだが、病であっても、その置かれた状況をどう受け止め管理しているか、ではないか。人間的な良し悪し、この世的な成功であるかどうか、によって主に求められた管理ができているとは限らないのではないか。

【Ⅰコリント4:1,2】
こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

主にある管理の良し悪しは、この世的な価値基準で判断できないもの、だから「神の奥義の管理者」とみことばに記されているのではないか。

また、「神の奥義 = すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられる」と思う。もちろん、それだけで神はあがめられる方であるが、イエス・キリストを通してあがめられる、ということは、まさに神の奥義ではないだろうか。この奥義の管理者とされた者は、この世の品質基準を満たすために管理するのではなく、神さまが求める品質基準を満たすために管理にあたるのである。この世的な判断や努力や知恵では行えない管理である。

神様からの賜物を受け、神さまのさまざまな恵みを管理しているという祈りなくしては、できない管理ではないか。

仕事での苦労、私が見つめるべきこと、それをこのような管理と祈り捉えると、様々な事柄から解放される。人の感情の思惑、自分の弱さ、そういったことにとらわれない主の働きを祈り求められる。自分は…、と自分の含めた人を恐れ迷うことから自由にされる。

(銀じ郎)
[PR]
by cozyedge | 2016-12-19 23:43

使徒の働きは今も続いています。


by cozyedge