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「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」(ゼパニヤ3:17)

主は私たちの存在を、その在り様を楽しみ喜ばれる。主の喜びをともに喜びたい。主のまなざしで自分を見つめることが喜びの核になる。

感謝というのが「態度」だとしたら、喜びは、感謝の結果がもたらされた「感情」の表出。
感情が態度の後についてくるものだとしたら、態度が変わらなければ感情も変わらない。
からだの在り様を変えることが、感情を変える。
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by cozyedge | 2016-10-17 00:58
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【レビ22:29~33】
 感謝のいけにえをささげるときは、あなたがたが受け入れられるように、それをささげなければならない。その同じ日にこれを食べ、朝までそれを残しておいてはならない。わたしは主である。~
33:あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出した者、わたしは、主である。

 レビ記のささげものについて詳しくわかっているのではないが、「感謝のいけにえ」が記述されている。これは「その日に食べ」と命じられている。その理由は「あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から連れ出した者、わたしは、主である。」ということではないだろうか。
 ここでは「感謝すること」が求められ認められるのではなく、神さまに受け入れられるように、ということが明記されている。「感謝」そのものはよいことであるが、よいことによって真理がぼやかされ、いつのまにかベクトルを誤らされることがいろいろな場面である。「感謝」についても、そのものは確かによいことだが、何を感謝し、何に向かって感謝しているか、が実は「感謝」において最も大切で、自分勝手な「感謝」など神さまに全く受け入れられないのではないか。肉も「感謝」は好きである。人のたましいにとっても「感謝」は心地よいものである。だから、「感謝」は誤りやすいのではないか。
 病気が治りました、お金が入りました、仕事で成功しました、といったことだけを感謝し、その導きをされた神さまを知り教えられ、神さまを感謝することを知らないのでは、意味がない。(銀じ郎)
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by cozyedge | 2016-10-16 23:58

使徒の働きは今も続いています。


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