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2017年2月25日 信仰放談 テーマ「沈黙」

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わざわいに対し何を言えるのか?

そもそも、災いがあるからと言って、神に何を訴えられるのか。
【箴言16:4】
主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。
【伝道者8:6~17】
9:私はこのすべてを見て、日の下で行われるいっさいのわざ、人が人を支配して、わざわいを与える時について、私の心を用いた。
17:人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。
【ルカ13:1~5】
また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったと思うのですか。
【ヨブ42:1~6】
2:あなたは、すべてができること、あなたはどんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。
3:まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。
6:それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。

 私も、わざわいは嫌である。私は罪人で神がなされることに口出しできるものではないので、どんなわざわいにあっても何も言いません、などと到底言えない。「なんとかしてください」と見苦しく訴えるだろう。ただ、この世で「どうして…」と思われるようなわざわいであって、それをゆるされる神さまのご計画、みわざについて見きわめることはできない。全てを理解することはできない。軽々しく口出しできないものがある。東日本大震災で石原元都知事が「神のさばき」といった発言をしたが、そんなことはできない。ただ、主の取り扱いを祈るしかない。

わざわいに対し願っても、願ったようにならないのは

【詩編83:1】
1:神よ。沈黙を続けないでください。黙っていないでください。神よ。じっとしていないでください。
4:彼らは言っています。
「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」
この祈りがそのときすぐかなえられたかどうかはわからない。祈りなさい、求めなさい、とみことばにあるが、下記のみことばもある。

【ヤコブ4:1~10】
3:願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。

もっともらしい祈りをしても、主が見ておられるのは人の動機、その人の心にあるものである。神を使って「自分の快楽」を満たそうということに人間は陥りやすい。そして、それに自分では気づけない。神さまがこたえず沈黙しておられるのは、実は多くを語り、私の「悪い動機」を教えてくださっていると思う。それは、他の人でも、他の団体や社会でも同じではないか。立派な人権的発言の底に潜む、神を否定し神以外のものを王座に就けようとする動機に対し、一時的に許し認めても、長い目では神が厳しく取り扱われていることがわかる。

(銀じ郎)
by cozyedge | 2017-02-25 23:22

使徒の働きは今も続いています。


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